
ぐいっ! ぐいっ!ぐいっ!ぐいっ! ぶるるるん!ぶるるるん!
いきなり、ファースト・キスの洗礼であった。あまりにも大きい魚信に思わず合わせたのに、ない。何もない。ない。竿は空を切った。
あれれれれれ?
投げなおすと、また…?!
投げなおすと、また…?!
なんど合わせても合わない。なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜなんだ…。
四十数年前、小学生の頃。愛媛県の佐田岬半島、川之浜でのできごとである。そのころ香川県高松市の瀬戸内海に住んでいたが、投げ釣り師が大ギスにうなされて開拓がはじまった。瀬戸内海に大きなシロギスはいない。宇和海に面する佐田岬半島になら水温が高く尺ギスが潜むだろうと、高松から国道56号線を走ってきた親父たちに、くっついてきたのだった。
そのころは国道56号線といわず「酷道」56号線といった。舗装もされていない算盤道路を何時間も何時間も走り抜く。車のばねは武骨に硬く、しゃべると舌を噛むので、歯を食いしばって、ただただ耐えるだけである。ドライブインなんてものもなかったし喫茶店なんてものもなかった。ホイールをとめるボルトが折れてしまったこともあった。日本の道は酷かった。日本モータリゼーション前夜の話である。
それでも、大ギスにうなされた釣り人は走った。
目的地に着くとおとなたちは消えてしまう。「ぼうず」の相手などしている場合ではない。大物の潜みそうな磯場の方に、一斉に走っていって消えてしまったのであった。ぼくは、ひとり砂浜に取り残され、投げ竿を振っていたのだった。そのとき、「一発目は見送れ」と知っていたらファースト・キスは、うまくいったろうに…。
シロギスは日本の海岸で砂底であるならば、どこにでもいる。群になって泳いでいる。いや編隊飛行をしているといった方がいい。砂地のやや「上空」を凄いスピードで「飛行」している。そして、餌を見つけると急降下して餌に襲いかかる。くわえて振り回してから、ゆっくり食べるのだろうか。
「目の覚めるような」魚信であっても、それで合わせると合わないのだ。「一発目は見送れ」が鉄則である。二発目で合わせるとよい。
どこにでもいる魚というのは嫌われるものだが、シロギスのように楚々として凛としていると好まれる。あらゆる魚のお手本のような魚信であり、それがまた凄く豪快だというのもいい。その豪快な魚信にうっかりのせられると肘鉄をくらうというのも、もう憎い憎いとしかいえない。釣り人なら、たいてい衝撃的な「ファースト・キス」だけでシロギスの虜になってしまう。
この目の覚めるような見事な魚信とスピードを味わいたくて、釣り師は日本全国を走り回ることになる。磯の超大物師であった、ぼくの親父、小西和人は、投げ釣りの黎明期にシロギスにとりつかれ「小さな大物」をいう尊称を献上し、日本の大ギス場の開拓に走り回っていたのだった。
この小さな大物。白砂青松にすむ「夏の魚」というイメージがあるだろうが、そのとおりである。
産卵期は、瀬戸内海で6〜8月、西日本の太平洋岸で6〜10月が盛期である。シロギスは産卵回遊をする。夏に浅場によってきて産卵をするのだ。そのため人の眼にふれやすく「夏の魚」だといわれる。むかし、鱚釣りは八十八夜からといわれた。立春から八十八日目、いまの暦でいうと、だいたい5月の初めくらいであるが、このころから浅場に寄ってくる。
産卵は、どこでいつするのだろうか。浅い砂浜なら、どこででもいつでもするようである。シロギスは何度も何度も産卵する。近畿大学水産研究所、浦神実験場ではシロギスを飼育し、水槽内で自然産卵させるのに成功した。その研究によると水温24度以上で6月17日から10月2日までの102日間に65回にわたって産卵した。水温26度以上では毎日産卵し、産卵総数は180万粒になったという。一発で産卵してしまう魚が派手で有名なので、魚の産卵はそんなものだと思っている釣り人が多いのだが、シロギスのように、だらだら産卵する魚は多い。こういう産卵を多回産卵という。
この産卵の間、シロギスは分散していて、あまり動き回らない。ところが秋になって産卵が終わると群をつくって動き回る。これが釣り師のいう「落ちギス」である。越冬のために体力を回復させるのか、活発に餌をあさる。
群で活発に移動するために秋のキスは「隠れん坊」である。とにかく探し回るとよい。群に当たったら大物が入れ食いになるけど、いないところではいない。「あてもの」でもある。あたったら、これほど嬉しいことはない。
冬は深場で越冬する。深場といっても地域や場所によって違うが、暖かいところなら水深30mくらいのところにもいて、水温が高くなると餌をとる。これが釣り師のいう「越冬ギス」である。ほんとうに深場ではなく、投げ釣りや、船釣りで狙えるような越冬場所の場合は、大物が潜んでいることが多く、型のよいのが魅力である。
春は、なかなか動いてくれない。八十八夜まで、じっと我慢である。
成長は遅く、瀬戸内海の研究で、1年で体長8cm、2年で12.5cm、3年で、14.5cm、4年で16cm、5年で17.5cmにしかならない。水温が高い太平洋側などは成長が早いと思われるが、大型のシロギスがすぐにいなくなるのは、やはり成長に時間がかかるのだろう。
「白い」キスと呼ばれているが、体色は砂色である。この色は、もちろん砂浜での保護色である。
砂浜は、波打ち際の、ちょっと沖向きに、汀線と平行に海底が小高く盛り上がるように砂が堆積することが多い。「バー」と呼ばれているが、釣り人は「カケアガリ」とか「ヨブ」とか呼んでいる。このバーから沖合を「沖浜」、手前を砕波帯とか磯波帯と呼ぶ。シロギスは、このバーを中心にして沖浜にいることが多い。このバー、ここではカケアガリとしておくが、これが20〜30mにあると、初心者でも釣りやすく、80mくらい沖合になると、ちょっと狙いにくくなり、120mになると、遠投が必要とされるである。何段かになっていることが多く、一概にはいえないが沖合ほど大物が多い。
シロギスの遊泳層は海底から14cm以内に集中しており、海底から30cm以上の層にはほとんどいない。海底近くを泳いでいたり、潮流に向かって定位したりしている。水中めがねで海面から見ていても、シロギスには、なかなか気がつかない。シロギスの体は見えないが、その影が、白い砂底を走って気がつく。それほど完璧な保護色である。
驚くと砂に潜る。危険を感じると頭から勢いよく砂の中に潜りこんでしまう。
シロギスが底引き網で獲りにくいのは、この習性があるからだ。
万鍬(まんくわ)がなまったのではないかといわれる「まんが」と呼ばれる大きな鉄の爪が何本もでているような漁具がある。ふつうシロギスのいそうなところは、この「まんが」引き網は禁止されているが、これで、驚いて潜っているシロギスを砂中から追いだし、その後ろの袋網で獲ってしまうようなことをやる。むかし、シロギスはどこにでもいて商品価値もなかったが、このごろは高級魚であるので一網打尽にされることも多い。
こういう一網打尽を続けると、シロギスが消えてしまう。もちろん、釣り人も釣り過ぎに気をつけたい。
日本の砂浜からシロギスが消えたら、それは日本ではなくなる。シロギスの生息環境を見守り、シロギスに危機があれば訴えることができるのは、われわれしかいない。